日本が復興へと力強く歩き始めた戦後の旭川で新子焼きは誕生しました。
若鶏の半身を素焼きにした豪快な焼き鳥で
今日の疲れを忘れるほどのおいしさに誰もが心を躍らせました。
当時肉は高価な食材で、頻繁に食べられるものではありませんでしたが
新子焼きに元気をもらい旭川は復興へと力強く歩き続けました。
今でも新子焼きは庶民のごちそうとして
愛され続けている世代を超えた旭川のソウルフードです。
「新子焼き」は“コハダ”は出世魚っていわれてて成長と共に4回名前変えるんだわ〜。
一番小さい頃は“新子”って名前なんだけど、高級でウマイのさ〜。
戦後、旭川で若鶏の半身焼きができたときに名前どうするべかってなったんだけど、
料理の世界では若いもんを新子っていうから、
若鶏を焼いたのは新子焼き、親鳥を焼いたのは山賊焼きって
呼び分ければいいべさってなったんだとさ。
半身のまんま焼いて、肉汁閉じ込めるから、なまらウマイんだわ〜。
© 旭川名物「新子焼き」の会